A.日語新聞中文版
太平洋戰(zhàn)爭后期的沖繩戰(zhàn)役結(jié)束至今已過去了77年, 6月23日是沖繩縣每年悼念戰(zhàn)役戰(zhàn)歿者的“慰靈日”。今年6月23日中午12時之前,沖繩縣政府主辦的戰(zhàn)歿者追悼儀式拉開另外帷幕。

沖繩戰(zhàn)役發(fā)生于1945年,戰(zhàn)斗十分激烈,包括平民在內(nèi)共有20多萬人喪生,沖繩人口損失了四分之一。鑒于日軍有組織的抵抗于6月23日結(jié)束,沖繩縣便將這一天定為悼念戰(zhàn)役戰(zhàn)歿者的“慰靈日”。
絲滿市是沖繩戰(zhàn)役的最后激戰(zhàn)戰(zhàn)場,今年的追悼儀式在位于當(dāng)?shù)啬ξ娜实貐^(qū)的和平祈念公園舉行。往年,追悼儀式參加者每年都在5000人左右,新冠疫情爆發(fā)之后,有關(guān)方面對參加者人數(shù)給予了一定的限制。今年約有300人參加,在近三年當(dāng)中首次邀請了嘉賓,其中包括了日本首相岸田文雄。
今年也是沖繩回歸50周年。鑒于駐日美軍約7成設(shè)施都建在沖繩,今年“慰靈日”不僅具有為和平再次祈禱的意義,還是促使人們進一步思考如何減輕駐日美軍基地對沖繩造成的沉重負擔(dān)的一個契機。
B.日語新聞簡易版
沖縄県 77年前の戦爭で亡くなった人のために祈る
沖縄県では77年前の戦爭で20萬人以上が亡くなりました。6月23日は毎年、亡くなった人たちのために祈る日です。糸満市で行われた式には300人ぐらいが出席しました。
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沖縄県の玉城知事は、アメリカ軍の基地を少なくすること、普天間の基地を同じ沖縄県の辺野古に移さないことなどを政府に強く言いました。
岸田総理大臣は、沖縄に基地が多いことをしっかり受け止めて、負擔(dān)が少なくなるように努力していくと言いました。そして、戦爭を二度と繰り返さないでみんなが平和に生活できるようにしていくと言いました。
沖縄の戦爭を経験した人が少なくなって、戦爭のあと生まれた人が県民の90%ぐらいになりました。多くの人が逃げたガマという穴も古くなって、平和を考えるための學(xué)習(xí)に使うことができなくなった所もあります。戦爭のことをどうやって伝えていくか考えなければなりません。
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*漢字讀音請參考圖片
C.日語新聞普通版
沖縄戦から77年「慰霊の日」 県主催の戦沒者追悼式開かれる
沖縄は23日、太平洋戦爭末期の沖縄戦から77年の「慰霊の日」を迎え、各地で平和への祈りがささげられています。最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦沒者追悼式が開かれました。
昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20萬人以上が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。
6月23日は、舊日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされ、沖縄県が「慰霊の日」と定めています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には、遺族などが訪れ、戦沒者の名前が刻まれた平和の礎(chǔ)に手を合わせていました。
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平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦沒者追悼式が、岸田総理大臣や沖縄県の玉城知事などおよそ300人が參列して開かれ、正午に全員で1分間の黙とうをささげました。
このあと玉城知事は「平和宣言」を読み上げました。
この中で「ことしは本土復(fù)帰から50年。今も國土面積のおよそ0.6%の沖縄に在日アメリカ軍専用施設(shè)面積のおよそ70.3%が集中し、アメリカ軍基地から派生する事件?事故や騒音、環(huán)境汚染など、県民は過重な基地負擔(dān)を強いられている」と述べ、基地のさらなる整理?縮小や普天間基地の移設(shè)斷念などを訴えました。
岸田総理大臣は、沖縄にアメリカ軍基地が集中していることを重く受け止め、基地負擔(dān)軽減の目に見える成果を一つ一つ著実に積み上げていくと強調(diào)したうえで「戦爭の慘禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを貫き、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を?qū)g現(xiàn)するため不斷の努力を重ねていく」と述べました。
このほか式では小學(xué)2年生の徳元穂菜さんが、ことしの「平和の詩」に選ばれた「こわいをしって、へいわがわかった」を朗読しました。